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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)1495号 判決 1980年1月30日

控訴人 澤二郎

右訴訟代理人弁護士 平山茂

同 中川清孝

同 澤昭二

被控訴人 港ラッカー塗装株式会社

右代表者代表取締役 澤厳

同 藤本豊久

右訴訟代理人弁護士 宮崎乾朗

同 永田真理

同 中村隆

同 加藤明雄

同 板東秀明

主文

一  本訴請求についての本件控訴を棄却する。

二  反訴請求についての原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人に対し原判決添付別紙物件目録(1)記載の土地を同土地上にある同目録(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物を収去して明渡し、かつ昭和四八年一月一七日から右土地明渡済まで一か月金三五万円の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の反訴請求を棄却する。

三  本訴についての控訴費用は控訴人の負担とし、反訴についての訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

四  この判決二1の金銭支払を命じた部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  本訴につき

被控訴人の本訴請求を棄却する。

3  反訴につき

(主位的)

被控訴人は、控訴人に対し、金二七八九万九八七二円及び昭和五一年一一月一日から、原判決添付別紙目録(1)記載の土地を同土地上にある同目録(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物を収去して明渡済に至るまで、一か月金四一万六四一六円の割合による金員を支払え。

(予備的)

被控訴人は、控訴人に対し、原判決添付別紙目録(1)記載の土地を同土地上にある同目録(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物を収去して明渡し、かつ昭和四六年四月一日から右土地明渡済に至るまで一か月金四一万六四一六円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

5  3項につき仮執行の宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二主張、証拠関係

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次に付加訂正するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決の訂正

1  原判決三枚目裏一二行目から同表九行目までを次のとおり改める。

「一 原判決添付別紙目録(1)記載の土地(以下本件土地という。)は、昭和四四年六月一八日を効力発生日として本判決添付別紙(一)目録(イ)ないし(ホ)記載の土地(以下従前の土地という。)に対する仮換地として指定された土地である。従前の土地はもと訴外澤春藏の所有であったところ、春藏が昭和四七年七月二四日死亡したので、その相続人である被告は、遺産分割協議の結果従前の土地を単独相続したが、これよりさき昭和四五年六月二四日春藏を申立人、原告を相手方とする大阪簡易裁判所昭和四五年(イ)第三六二号土地使用貸借契約即決和解申立事件で和解が成立し、その和解調書記載の和解条項は別紙(二)のとおりである(この和解条項にいう別紙目録(1)記載の土地、同目録(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物は、原判決添付目録(1)記載の土地、(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物のことである。以下この和解を本件和解という。)。したがって、被告は、従前の土地の所有権取得と同時に一見本件和解条項による春藏の原告に対する権利、義務を承継した観を呈する。」

2  原判決四枚目表一〇行目の「三」を「二」同一五枚目表二行目の「四」を「三」とそれぞれ改める。

3  同五枚目表一行目「右澤タクシー」から同五行目「関連会社を設立したが、」までを次のとおり改める。

「右澤タクシーは昭和一六年戦時統合により日本交通株式会社(以下日本交通と略称する。)となり、亡善藏は昭和一七年から病気で引退する昭和二一年まで日本交通の代表取締役の地位にあり、その後は亡春藏が右代表取締役の地位を引き継ぎ、戦前日本交通が取得していた自動車運送事業免許をもとに発展させ、亡春藏が死亡する昭和四七年頃は日本交通傘下三六社の関連会社が設立されていたが、」

4  同五枚目裏一一行目「同一〇月頃」を「同年一〇月頃」と改める。

5  同六枚目表一〇行目「同人は、」を「亡春藏は、」と改め、同一二行目から裏四行目までの各行の地番の表示中「号」を抹消する。

6  同六枚目裏一一行目から一二行目にかけての「右仮換地指定後も本件土地を無償使用」を「右仮換地指定後は亡春藏から本件土地を無償で借受け使用」と改める。

7  同九枚目表八行目「本件土地の所有関係」を「本件土地についての原告の使用関係」と改める。

8  同九枚目裏九行目「本件明渡請求」を「本件土地の明渡請求」と改める。

9  同一一枚目表一行目「四八年一二月」を「四八年一月」と改める。

10  同一五枚目表四行目「一、二項」を、「一項」、同六行目および同裏一二行目の各「同三」を「同二」とそれぞれ改める。

11  同一五枚目裏一二行目「主張の土地」の次から同一三行目末尾から一六枚目表一行目までにかけての「一四」までを削除する。

12  同二四枚目裏四行目「所有権」とあるを「使用権」と改める。

13  同二七枚目表七行目「乙号各証の成立」の次に「(乙第一四号証は原本の存在とも)」を、同一一行目「一四号証」の次に「(写)」をそれぞれ挿入する。

二  当審における控訴人の主張

1  本件和解条項第二項に定められた明渡期限は、当事者の真意に基づいて約定されたものであり、文字どおり使用貸借の終了を意味するものである。そのことは春藏の日記からも明らかであり、右日記によると事前に被控訴会社代表者藤本豊久、澤厳、豊久の弟藤本成久及び春藏らが協議して本件和解に臨んでいることからも明らかである。右明渡期限の約定が有効であるとすると、本件土地の使用貸借が建物所有を目的としているにもかかわらず、その使用期間は和解成立の日から九か月余りということになり、事実上不可能なことを約定したかのようにみえる。しかし、被控訴会社は、本件建物及び工作物が本件土地に移築される前に存した敷地である春藏及び福田産業株式会社所有の土地を昭和三二、三年頃から約一〇年も無償で借受けていたのであるから、この期間を含めて考えると右明渡期限は決して短いとはいえない。また、本件土地の代替地の調達については自己資金のみならず他から融資を受けることによって必ずしも不可能とはいえない。現に被控訴会社は、昭和四六年から業績が黒字に転換し、後記のとおり被控訴会社の姉妹会社である大阪産善株式会社は、右明渡期限の前である昭和四七年初頃東大阪市荒本町西一丁目八番宅地一〇五四・五四平方メートルを借り受けて事業を拡大している。本件建物が堅固な建物でなく容易に移転可能なことは、本件建物を以前の借地から本件土地に移築したことからも明らかである。

2  予備的反訴について

(一) 仮に本件和解調書による明渡期限の約定が無効であるとしても、次に述べるような事情の変更により被控訴会社に対して本件土地を無償で使用を許すことができなくなったので、本件土地の明渡を求める。

控訴人を含む春藏の相続人らが取得した相続財産のうち、純資産は八億九八九六万九二〇九円であり、右純資産のうち四億八四四六万三九七二円が日本交通系列各社の株式の評価額(これは純資産の約五三・九パーセントである。)であり、相続した不動産のうち日本交通系列各社が現に占有使用しているもの及び被控訴会社が占有使用している本件土地の評価額は一億五四九六万八一六五円(これは純資産の約一七・二パーセントである。)である。右株式及び不動産は、相続財産の実に約七一・一パーセントにも達するが、相続税は各相続人につき平均して相続財産の約六五パーセントにも達する。しかし、日本交通系列各社のような非上場株式は、物納の対象として認められず、換価の可能性もなく、本件土地のような紛争土地の物納を国は欲しない。しかも、相続税の申告、納付期限は昭和四八年一月二四日と定められ、右期限までに控訴人らはその法定相続分に応ずる相続税を全額現金で納付しなければならず、もし一時に納付できない場合は、相続税の延納許可を求めなければならないが、右相続税の延納には年六分の利子税を付加して納付しなければならない。したがって控訴人を含む春藏の相続人らは、春藏の財産を相続したものの現金は少なく多額の相続税を納付すべき必要に迫られ、相続財産を緊急かつ合理的に整序して相続税を納付しなければならない情況にあった。本件土地も例外ではなく、いつまでも被控訴人に無償で貸与しておくわけにはいかず、早急にこれを換価しなければならないのである。しかるに被控訴会社代表者澤厳は、日本交通系列各社の支配を企図し、春藏の相続人らの持株を相続税評価額により各社につき五〇パーセントに達しないような方法の買入れを性急に求め、控訴人らの緊急合理的な財産の整序を妨げている。春藏の財産関係は日本交通系列各社の財産関係と複雑かつ密接に関連するものであり、その整理、換価等は日本交通系列各社の資産内容に関する資料の提供を求め、これに基づく合理的判断のもとに行なわれるべきであるが、澤厳は、右資料の提供には非協力的であり、加えて本件和解調書の存在を知りながら春藏の死後半年も相続人らに秘していたのである。右のような事情の変更、被控訴会社代表者の信頼関係を破壊する行為は、本件土地の使用貸借の終了原因となり得る。

(二) 本件土地の使用貸借は、被控訴会社が他に代替地を調達するまでの「一時使用」のためであり、「使用及び収益をなすに足るべき期間」を経過したものである。替地の取得は必ずしも自己資金のみによるだけでなく他からの融資を受けることによっても可能であり、被控訴会社は昭和四六年から黒字経営に転換している。訴外大阪産善株式会社は、被控訴会社代表者藤本豊久が約七五パーセントの株式を所有し、被控訴会社と提携して鈑金、塗装の仕事をしている。藤本豊久は被控訴会社の株式も約八〇パーセント所有しており、被控訴会社と大阪産善は藤本豊久が経営する姉妹会社の関係にあるが、右大阪産善は、昭和四七年初頃前記のとおり東大阪市に土地を賃借し工場を開設しており、このようなことからも、被控訴会社が本件土地の代替地を調達することは可能なはずである。本件土地の使用貸借期間は被控訴会社が現に替地を調達した時ではなく、諸般の事情から被控訴会社が替地を調達可能となった時と解せられ、そうすると、本件使用貸借は終了していることになる。

三  当審における被控訴人の主張

1  被控訴会社は、昭和三六年五月春藏所有の大阪市港区三先町二丁目一一八番一〇、同番一四及び福田産業株式会社所有の同番一二の土地(以下旧借地という。)を無償で借り受け、右地上に本件土地上にある現在の建物を建築し、工場及び事務所として使用していた。旧借地についても本件和解と同様昭和三六年九月二〇日大阪簡易裁判所昭和三六年(イ)第一二二〇号事件において、被控訴会社の旧借地使用は一時使用であり、使用期間は昭和三六年四月一日から昭和三七年一二月一日までの一年九か月であるとの即決和解が成立していた。しかし、旧借地の使用貸借の期間は、その使用目的、澤タクシーの創立に善藏が多額の融資をして貢献したこと、善藏(当時の被控訴会社代表者)と春藏とが兄弟であること等の事情から、被控訴会社の営業の継続する限りであったので、右和解調書の期間経過後も被控訴会社は旧借地を使用し、春藏から旧借地の明渡を求められたり和解調書の執行を受けたことは全くなかった。昭和四二年一〇月被控訴会社は、旧借地の地盛りのため同地上の建物を本件土地に移築したが、これによって旧借地を所有者に返還したわけではなく、地盛りが終れば旧借地に戻るつもりであったから、旧借地について依然使用貸借契約が継続していたのである。ところが、その後旧借地を春藏自ら使用することになったため、被控訴会社と春藏は協力して当時大阪市所有の本件土地につき春藏名義で仮換地の指定を受け、春藏は、営業の続く限り旧借地を無償で使用することのできた被控訴会社に対し、引き続き本件土地を無償で貸与することにしたのである、したがって、使用貸借の目的土地が旧借地から本件土地に変更されたものの、その使用目的、使用期間は変らないのであって、本件土地の使用貸借は決して一時使用の目的ではない。旧借地及び本件土地についての即決和解成立当時被控訴会社は、これらの土地を唯一の営業場所とし、他に移転できる土地も有しておらず、春藏もそのことを熟知していたのであるから、一時使用ということは到底考えられない。

2  予備的反訴について

(一) 相続税納付についての控訴人の主張は事実に反する。春藏の相続人らは、春藏が経営していた日本交通並びにその系列会社を私物化して考え、春藏死亡後直ちに右各社に対して相続税を納付するよう要求してきた。春藏死亡後右各社の経営は亡春藏の生前の意思に従い澤厳が承継したが、同人はこのような理不尽な要求をしりぞけた。高額な相続税を納付するためには、相続財産の半分以上を占める日本交通各社の株式を換価処分する以外に適切な方法はなかったので、厳は、控訴人らに対し右株式を買戻しの特約つきで買い取ることを申し出た。厳は相続人らの立場を考慮してこのような株式買取の申出をしたのであるが、控訴人ら相続人は、右申出を受け入れず、相続税延納計画をたて、それによって生ずる多額の利子税まで含めて日本交通各社に保証させようとした。このようなことから控訴人ら相続人と日本交通各社との相剋は決定的となり、次々と会社訴訟が提起されており、相続財産の整理が円滑に行われないのはむしろ控訴人ら相続人側の責任である。また、本件和解調書は本件土地の使用関係を確認するという程度のものにすぎなかったため、関係者は和解調書の存在を殆んど気にとめていなかった。したがって厳や豊久が故意に本件和解調書の存在を隠匿したことはなく、控訴人主張のような背信行為、忘恩行為はなかった。

(二) 被控訴会社と大阪産善は、ともに大阪市港区三先一丁目三番一五号に本社を置き、役員は共通しているが、全くの別法人で、別経理、独立採算で運営されている。両社とも自動車の修理、整備、自動車部品の販売等を業とし、現在は右業務のうち特に塗装部門を被控訴会社が行っており、その意味では両社は密接な関係をもっている。ところで、自動車修理業は非常に地域性の高い業種であって、替地が調達できるからといって簡単に移転できるものではない。大阪産善も被控訴会社も港区周辺に顧客をもち営業しているのであって、同社らを移転することは一挙にこれらの顧客を失うことを意味し、移転先で新たに顧客を開拓することは不可能に近い。大阪産善が昭和四七年東大阪市に移転したのは、同社があった港区三先町周辺はもと工場地域であったところ、次第に住居が増え、自動車の修理等に伴う大きな騒音、振動が付近住民の公害反対運動をきひおこすことになったためである。大阪産善としては顧客のある港区で操業するのが望ましかったのであるが、地域住民の反対によって敢えて騒音、振動の著るしい作業に関係する工場のみを一部東大阪市に移転したのである。大阪産善では東大阪市に工場を移転した今日でも顧客の殆んどは港区周辺で、東大阪市の顧客は一五パーセント程度である。さらに、昭和四六、七年当時は大阪産善よりも設立の古い被控訴会社の名前の方が港区周辺には知られており、同社の名前でかなりの顧客を集めていたという事情もあり、このような時期に被控訴会社を他所へ移転することなど全く考えられなかった。次に、被控訴会社の昭和四五年一二月一日から昭和四六年一一月三〇日までの事業年度分の所得額は零であり法人税を納付しておらず、同事業年度利益は二〇〇万円程度あがっているものの、前事業年度までの累積赤字は七七〇万円余あり、代替地を調達できるような余裕はなかった。被控訴会社の経理は日本交通株式会社の第二経理で行っていたので、春藏は、被控訴会社の右経理の実情を知っていて、被控訴会社に対し明渡を求めなかったのである。以上のとおり、控訴人が主張するように昭和四七年初頃本件土地の使用貸借を終了させるような事由は全くなかった。

四  当審における証拠関係《省略》

理由

一  本判決添付別紙(一)目録記載の土地はもと澤春藏の所有であったが、同人は昭和四七年七月二四日死亡し、控訴人が遺産分割協議の結果右土地を単独相続したこと、本件土地について、春藏と被控訴会社との間の本件和解第二項に「被控訴会社は、昭和四六年三月末日限り原判決添付別紙物件目録(2)(イ)(ロ)記載の建物及び工作物を撤去して本件土地を明渡す。」との条項があることは当事者間に争いがない。

二  本訴について判断する。被控訴人は、春藏及び日本交通系列会社と被控訴会社との関係、本件和解成立の前後の経緯等から、本件和解そのものが無効であるか、仮にそうでないとしても、右明渡条項は通謀虚偽表示により無効である旨主張するので、以下この点について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  澤春藏は、昭和四七年七月死亡するまで大阪市西区新町通四丁目八八番地に本店を有する日本交通株式会社(以下日本交通本社という。)及び大阪、京都の二府、兵庫、鳥取、島根の三県にわたって散在する右日本交通傘下の系列会社三五社の殆んど(二五社)の代表取締役に就任し、日本交通系列各社の頂点に立ってこれらを統轄し経営していた。春藏は、父房藏の四男として生れ、大正一四年頃郷里の鳥取県から大阪市に出て来て個人で細々とタクシー業を営んでいたが、兄善藏(房藏の三男)がその頃京都府舞鶴の藤本家に養子に来ていて、その養家先の不動産を担保に約一五万円という当時では多額の融資を受けることができたので、兄弟共同して澤タクシー株式会社を設立し、以後協力して右会社を経営していた。澤タクシーは昭和一六年戦時統合により数社が合併して日本交通株式会社となり、その代表取締役に兄藤本善藏が就任したが、善藏は昭和二一年肺結核のためこれを退任せざるを得ず、春藏がかわって日本交通の代表取締役となった。春藏は、商才にたけかつ仕事熱心であったため、戦災でタクシーの営業免許以外は無一物にひとしかった日本交通を再興するとともに、前記二府、三県にわたり次々と系列会社を設立し、自動車による旅客運送、不動産業等の事業を拡張していった。今日の日本交通本社及びその系列会社の発展はもっぱら春藏個人の力に負うところが大きかったため、同人の生存中は同人のワンマン経営ともいえるものであった。春藏は、昭和二七年長兄義治の子澤厳を日本交通本社に入社させ、その後同社の常務取締役及び日本交通系列数社の代表取締役に就任させて春藏のもとで日本交通の経営にあたらせ、春藏の死亡後は同人の遺志によって厳が春藏の後継者となった。

(二)  善藏は、昭和二四年頃健康を回復し、昭和二五年に設立された日本交通系列会社である大阪タクシー株式会社の代表取締役に就任したことがあるが、同社の株式を所有していたわけではなく、日本交通系列会社の持株としてはわずかに日本交通旅行社の株式二五株を所有していただけで、日本交通本社及びその系列会社の経営には関与せず、港区三先天満宮奉賛会会長、港区防犯協会副会長、港区土地区画整理委員会会長代理等を兼任し、もっぱら地域住民の世話役的な仕事に専念していた。被控訴会社は昭和二九年一二月「港交通」という商号で、大阪産善株式会社は昭和三五年一二月、いずれも善藏が設立した会社である。港交通はタクシー営業を目的として設立されたが、営業免許がおりずやむなく昭和三七年八月一日現在の商号に変更し、特殊自動車の修理、塗装、鈑金等の営業をし、大阪産善は普通自動車の修理、整備、部品販売を営み、両社は工場を隣接し相連携して事業を営んでいるものである。しかし、右両会社はその株式の七、八〇パーセントを善藏が所有し、善藏が実権を握り、日本交通本社の影響は及ばず、いわゆる日本交通の系列会社ではない。しかし、同族の者が経営する会社であることには変りなく、春藏あるいは日本交通は、善藏の経営する被控訴会社及び大阪産善に協力し、被控訴会社の経理は日本交通系列各社の経理を担当する日本交通本社の第二経理課が担当していた。善藏は昭和四一年一二月一七日死亡し、その長男藤本豊久が被控訴会社及び大阪産善の代表取締役に就任したが、春藏は、豊久が若年で会社経営に未熟であることを慮って、同人を補佐するため厳を被控訴会社の共同代表取締役に就任させ、必要に応じて被控訴会社に資金援助もした。なお、豊久の母(善藏の妻)は春藏の妻貞子の姉でもある。

(三)  被控訴会社は、当初大阪市港区新池田町一丁目一七番宅地五四七坪上で営業していたが、同土地に埋土嵩上工事がされることになったため建物移転の必要に迫られ、春藏のはからいで昭和三六年四月旧借地三筆(旧借地のうち大阪市港区三先町二丁目一一八番一二、宅地一六九坪は日本交通系列会社である福田産業株式会社(代表取締役澤春藏)の所有であり、同所一一八番一〇、宅地二二〇坪六九、同所一一八番一四、宅地二七九坪九五は春藏の所有である。)に作業場、倉庫、事務所等の建物を移築した。春藏は、不動産取引にも精通し、土地の貸借は紛争が生じやすいので極度にこれを嫌い、第三者に土地を貸すのは稀であったが、兄の経営する会社が移転先に困り、右新池田町の土地の埋土、嵩上工事期間中の短期間であるということで旧借地の使用貸借を認めた。しかし、不動産取引に慎重な春藏は、将来旧借地の明渡をめぐって紛争が発生することを防止し、合せて土地の明渡を確保するため、顧問弁護士山口伸六を代理人として善藏及び被控訴会社との間に昭和三六年九月二〇日大阪簡易裁判所昭和三六年(イ)第一二二〇号事件において別紙(三)記載のとおりの即決和解をした。右和解調書によれば、春藏は旧借地を善藏に対し昭和三六年四月一日から昭和三七年一二月三一日まで無償で貸付け、被控訴会社がこれを使用することを認めること、無断転貸等の禁止、使用目的、使用方法の制限、右期間経過後は直ちに土地を明渡すこと及び明渡の際の条件等を定めた詳細なものであった。春藏は、前記のとおり兄善藏及び被控訴会社に対する援助はこれを惜しまなかったが、こと土地の貸借に関してはたとえ身内の間柄であるとはいえこれを明確にしておくべきであるとの考えに基づき、前記即決和解をするに至ったものである。しかし、被控訴会社は、右期間経過後も旧借地に居座ったまま使用を続け、春藏も、さしあたり旧借地を利用する計画がなく、善藏及び被控訴会社に和解調書どおり土地の明渡を求めたことはなく、これを黙認していた。

(四)  昭和四二年旧借地付近の換地工事が進み、旧借地についても埋土、嵩上工事のため地上建物の移転を大阪市から求められ、同年一〇月頃被控訴会社は旧借地の斜向い側にあった大阪市所有の本件土地上に右工事終了までとの約束で原判決添付別紙物件目録(2)(イ)(ロ)記載の建物等を移転した。旧借地の埋土、嵩上工事は間もなく終り、被控訴会社が旧借地に戻ろうとしたところ、春藏は、これを機会に旧借地を自ら利用する計画があるという理由でこれを拒んだ。被控訴会社は、旧借地の使用はもともと短期の約束であり春藏の好意で長期間その使用を許されていたに過ぎないので、春藏の措置に異議を述べることはできず、他方旧借地に移転する前の新池田町の土地上には既に他の建物が建築され、他に移転する代替地もなかったので、大阪市から度々本件土地の明渡を求められてもそのまま居座わらざるを得なかった。そこで、春藏と当時父の跡を継いで被控訴会社の代表取締役に就任していた豊久とは協力して大阪市に対し本件土地の払下げを働きかけ、その結果昭和四四年六月一八日春藏所有の従前の土地(別紙(一)目録(イ)ないし(ホ)の土地。ただし(ホ)の土地は当時三七番四の一部であったが昭和四九年三月二日分筆されたものである。)に対する仮換地として仮清算予納金一一六六万三〇〇〇円、予納期限昭和四五年三月三一日との条件で、当時既に公共用地として使用される予定になっていた本件土地が指定されたので、被控訴会社は他に移転せずに引き続き本件土地を使用することができた。春藏は、土地を他に貸借するとその利用処分が自由にならず、かつ紛争発生の種になりやすいという理由で土地の貸借には消極的であったが、本件土地については前記のとおり甥の経営する被控訴会社の窮状を救うため仮換地の指定を受け、被控訴会社に対し旧借地と同様無償使用を認めることになった。しかし、不動産取引に慎重な春藏は、昭和四五年三月二八日豊久、厳、豊久の弟成久らに対し、本件土地は被控訴会社が買取るかあるいは更地にして明渡すのが原則であること、代金は仮清算予納金一一六六万三〇〇〇円に税金等の諸費用を加えたもので足りること、それ以外に一時使用なら考慮するが長期の貸借は認められないこと等を申し入れた。被控訴会社は、当時各期ごとの決算では黒字であったが膨大な繰越欠損金をかかえていたので全体としては赤字であり、そのため本件土地についての仮清算予納金は時価より相当安かったにもかかわらずこれを支払って本件土地を買取れる状態ではとてもなく、他方他に代替地はなく、新たにこれを取得して移転することもできなかった。そこで春藏と被控訴会社は、本件土地の使用貸借契約を結び、右両名間で本件和解が成立した。本件和解に当り春藏が作成した和解案の条項の中には本件土地に対する税金は被控訴会社が負担するとの条項があったが、本件土地の使用に関し被控訴会社に何らかの金銭でも負担させると将来問題が起りやすいとの顧問弁護士の助言によって削除された。本件和解には、春藏側から顧問弁護士山口伸六が代理して、被控訴会社から実権者である藤本豊久が共同代表者澤厳については同人の委任を受けてそれぞれ裁判所に出頭し、これを成立させたものである。右和解調書の正本は昭和四五年七月一日双方の当事者に送達されたが、前記のような内容の和解が成立したことについていずれからも異議が述べられたことはなかった。

(五)  本件和解調書第二項によると、被控訴会社は本件和解期日からわずか九か月後の昭和四六年三月末日限り地上建物を収去して本件土地を明渡すこととなっている。春藏は、土地利用に関する同人の信条に基づき、たとえ叔父、甥の間柄とはいえ本件土地についても被控訴会社が買取るか、それができなければ明渡すべきことを希望していたのであるが、反面被控訴会社の経理内容が前記のとおり良好でなく、右条項の履行が困難なことも十分了解したうえ、敢えて本件和解を成立させたものである。他方被控訴会社代表者藤本豊久、澤厳らは、本件和解に際し、短期の明渡条項が存するがこれが現実に実行されるとは全く考えず、春藏の前記の希望はあるが、旧借地と同様移転先がなければ期限後も本件土地の使用を許されるものと考えて本件和解に応じたものである。そして、明渡期限の直後頃、春藏は、被控訴会社に対し、本件土地の利用計画があるので明渡すように、もし直ちに明渡すことができなければその明渡時期を明示するように催告し、付近住民から騒音の苦情が出ている被控訴会社のために自らも移転先を物色したことはあるが、その後は無断で工場の増設工事をしたことに抗議をしたことがあるだけで、明渡を強制したことはなく、そのうち本件土地の利用計画も言わなくなった。被控訴会社は、適当な替地が見つからず、春藏から明渡の要求もなくなったので、期限後も引き続き本件土地を使用して現在に至っている。

(六)  春藏は、昭和四七年七月二四日胸部大動脈瘤破裂で急死し、その相続人として妻貞子、長男昭二、二男二郎(控訴人)、二女弘子のほか非嫡出子二名があり、春藏の個人資産は日本交通本社及びその系列会社の資産と密接に関連し、遺産の殆んどは、日本交通各社の株式と不動産であり、純資産総額は約九億円、相続税の総額は約六億円にも達した。春藏の相続人らは、右巨額の相続税を納めるだけの資産を有せず、一方で相続税の延納許可を求めるとともに、遺産を処分してこれを捻出せざるを得なくなった。日本交通各社の株式は非上場株式であり、その換価は日本交通系列各社に買取ってもらう外なかったが、春藏を継いだ澤厳と、これまで日本交通の経営に殆んど関与していなかった春藏の相続人らとの間に不和が生じ、株式の処分は思うにまかせない。他方春藏所有名義の土地の中には日本交通系列各社が占有使用しているいるものもあり、逆に日本交通系列各社所有名義の土地を春藏ないしその家族(相続人ら)が占有使用しているものもあり、日本交通系列各社と春藏の相続人らとの間でその調整、整理が残っている。しかし、本件土地を使用している被控訴会社は、春藏が生前種々の援助をしていたとはいえ豊久個人の会社ともいうべきものであり、日本交通系列会社には属せず、春藏の相続人らと前記のような関係にはなかった。そこで、本件土地の従前地を遺産分割協議により単独相続した控訴人は、昭和四八年一月一六日到達の内容証明郵便をもって被控訴会社に対し、前記のような相続税納付の必要を説明し、本件和解調書に明渡条項もあり、被控訴会社がこれまで本件土地を使用することができたのは春藏が黙示の明渡猶予をしていたに過ぎないので、ここに改めて本件土地の明渡を求め、合せて本件土地の売却にも応ずる意思のあることを伝えた。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右認定の事実によれば、本件和解は、被控訴会社の代表取締役藤本豊久が、他の共同代表取締役澤厳については同人から正当に委任を受けて成立させたものであり、代理人許可申請書及び委任状を春藏が偽造した事実はなく、右委任がなかったことを前提とする被控訴人の主張は理由がない。また、民事訴訟法三五六条一項に定める民事上の「争」の中には、本件のように和解の時点で当事者間に特段の紛争はなくとも、本件土地の使用をめぐる権利関係を明確にし、さらに将来発生が予想される土地明渡をめぐる紛争を事前に防止する必要のある場合も含まれると解されるので、同条による和解の前提となる紛争が存在しないことを前提とする被控訴人の主張も理由がない。

しかしながら、前記認定の諸事実に照らすと、本件和解調書第二項の全部が有効とは認められない。すなわち、本件土地使用貸借の目的は工場、事務所等の建物所有を目的とし、通常は比較的長期間の貸借が予想されるのに、その明渡期限は余りに短期であり、特段の事情のない限り借主にとって極めて過酷な条件である。そもそも春藏が本件土地を仮換地として指定を受けるに至ったのは、被控訴会社が大阪市から本件土地の明渡を求められ、他に移転先を得ることもできずに困窮していたからであり、本件和解成立のとき、被控訴会社が右明渡期限内に他に移転することが極めて困難であることは、関係者も容易に予想できたことである。そして、春藏は、本件和解にもかかわらず明渡期限後も本件土地を使用する被控訴会社に対し、前記のとおり一時期明渡を求めたことはあるが、強硬にこれを主張したことはなく、むしろ後には旧借地の場合と同様被控訴会社の本件土地使用を黙認していたことが窺われ、和解調書に基づく強制執行をしようとしたことなど全くない。被控訴会社は春藏の実兄善藏が設立した会社であり、善藏は、戦後こそその経営に関与しなかったとはいえ、日本交通の前身澤タクシーの設立には多大の寄与をし、春藏に引き継ぐまでは日本交通の代表取締役でもあった。したがって、春藏は、被控訴会社が日本交通系列の会社ではないとはいえ、その経営を陰に陽に支援し、善藏の死後はこれを引き継いだ甥豊久を助けるため厳を共同代表取締役としてその補佐役につけるなどの配慮をしているのであるから、本件和解当時被控訴会社の営業が不可能になるようなことを春藏が敢えて要求するとは到底考えられないことである。以上を総合すると、春藏は、本件和解において第二項中の明渡条項が文言どおりの効力を有することを意図していたものではないと推認され、そうであるからこそ、被控訴会社の豊久及び厳は、春藏の右意図を察知し、前記のとおり文言どおりの履行を強制されることはないと考えて、抵抗なく和解に応じたものである。それゆえ、本件和解条項第二項の明渡条項にはその文言どおりの効力を付与しないという点において当事者双方が通謀していたものと認めるのが相当であり、右条項は通謀虚偽表示にもとづくものとして無効になるというべきである。

そうすると、本件和解の右条項は執行力を有しないから、被控訴人のその余の主張について判断を示すまでもなく、被控訴人の本訴請求は正当である。

三  反訴について判断する。

1  本件和解第二項中の明渡条項が通謀虚偽表示にもとづくものとして無効であることは、右に述べたとおりであるから、右明渡条項が有効であることを前提とする控訴人の主位的反訴請求は理由がない。

2  そこで、控訴人の予備的反訴請求についてみるに、右のとおり本件和解条項第二項中の明渡条項は無効というべきであるが、なお叙上のところをかれこれ考え合わせると、本件和解条項第二項の全部が通謀虚偽表示にもとづくものとして無効になるものではなく、少なくとも右条項で定められた期限である昭和四六年三月末日までは、被控訴人において使用借権の無断譲渡、借用物の転貸をしない限り(第三、第四項)春藏において明渡を求めることはありえず、また右の日時の経過により春藏・被控訴人間の使用貸借関係が当然に終了するものではなく、以後は期間の定めのない使用貸借関係が継続することになるものと認めるのが相当であり、この関係においては右第二項はなおその効力を有するものというべきである。

被控訴人は、右第二項の全部が心裡留保、虚偽表示または錯誤により無効であると主張するが、右主張は前記認定の事実からして理由のないことが明らかである。

3  ところで、本件土地の使用貸借は建物所有を目的とするものと認められるから、民法五九七条二項の規定に照らすと、地上建物が存続する限り、あるいは被控訴会社が地上建物を使用して本件土地の使用収益を継続している限り使用収益を終ったことにならず、あるいは使用収益をなすに足るべき期間を経過していないものとして春藏は本件土地の返還を請求できないと解される余地がないではなく、現に被控訴人はそのように主張する。しかし、もしそのように解すると本件和解は単に本件土地の利用関係が使用貸借であることを確認したものにすぎないことになるばかりではなく、その明渡期限はむしろ著しく長期のものとなって、春藏の不利益は著しく、そのような帰結はわざわざ春蔵が自ら申し入れて本件和解を成立させたなどの前記経緯からしてとうてい是認しえない。すなわち、前認定のとおり、春藏は、不動産取引に精通しかつ慎重で、ことに土地の貸借については紛争の発生を嫌って消極的であり、本件土地についても原則として買取りか明渡を希望していたものである。そして、本件土地及びこれに先立つ旧借地についての和解条項(別紙第(二)、第(三))等からすると、それぞれの和解の意図するところが土地明渡の確保、それも使用貸借関係が長期にわたらないことの確保にあったことは明らかである。もっとも、春藏はその生前本件土地の明渡を求めたことはなく、それは被控訴会社の実情、善蔵と被控訴会社との従前からの関係を考慮してのことと推察され、本件使用貸借のこのような展開は、本件和解の衝に当った被控訴会社代表者豊久らの内心の期待にそうものであり、被控訴会社にとって望ましいものであったということはできるが、豊久らとしても、わざわざ期限を切った明渡条項を含む本件和解に応じた以上、被控訴人主張のように例えば地上建物が存続する限りいつまでも無償で本件土地を使用できるとの期待をもっていたとはとうてい考えがたく、実のところ、本件使用貸借がもっぱら春藏の好意によっているものであるといえるなどの点に思いを至せば、本件において豊久らがそのような期待をもつことはむしろ許されないこととすらいえるのである。このようなところからすると、被控訴人の叙上主張はとうてい採用することができず、むしろ、公平の見地に照らすと、本件使用貸借は、期間の定めのないものとなった後には、相当の期間が経過するなど相当の事由があるときは、貸主においてこれを解約することができるものと認めるのが相当である。

被控訴人は、善蔵が澤タクシーの設立に寄与したこと、本件土地が仮換地として指定されるについては善藏が生前港区土地区画整理委員会会長代理をしていたことが大きく影響していること等を理由に、本件土地は被控訴会社が地上で営業を継続する限り無償で貸与されたものである旨主張する。しかし、春藏が善藏に対し右のような恩義及び兄弟愛を抱いていたとしても、そのことから直ちに被控訴人主張のような土地の使用貸借が認められる根拠とはならず、和解調書まで作成する程慎重、厳格な春藏が、結果としてそのようなことを認めることになったとしても、権利義務として当初から右のような使用貸借を認めたとは到底考えられない。被控訴人は、日本交通系列会社ではなく、前項(六)のとおり春藏及びその家族と相互に所有地を提供し合って使用しているという関係にはなく、本件土地の無償使用に見合う利益を実質的に相手方に与えているわけでもない。善藏が澤タクシーの設立に寄与したといっても、今日の日本交通の発展はむしろ春藏の尽力に負うところが多く、仮換地の指定に善藏の影響力がどれ程あったか疑問であり、被控訴人主張の事実をもって、被控訴会社が長期間本件土地を無償で使用することができる根拠とするのは不十分である。よって、この点の被控訴人の主張は採用しない。

4  春藏の死亡により本件土地(の従前地)を相続し本件使用貸借における貸主の地位を承継した控訴人が被控訴会社に対し昭和四八年一月一六日到達した内容証明郵便で本件土地の明渡を求めたことは前記二1(六)認定のとおりである。右は使用貸借解約の意思表示と認められるから、解約を相当とすべき事由があるかについてみるに、前記認定の事実によると、本件使用貸借は春藏の好意にもとづくものであって、もともと必ずしも長期にわたることを予定していたものではないことに加え、その春藏が昭和四七年七月に死亡し、控訴人において本件土地(の従前地)を相続したが、控訴人はその相続税を納入するため本件土地(の従前地)を有利に処分する必要に迫られているものである。また、本件土地の使用貸借こそは昭和四五年六月二四日の本件和解に始まるにすぎないが、実質的には昭和三六年九月二〇日の和解による使用貸借を引継ぐものであって、使用収益の目的、期間等の関係においては両者を通じて評価するのを相当とする関係にあるといえるから、これをも含めると被控訴会社はすでに相当の期間使用貸借の恩恵を受けているものであり、近時は経営状態も安定し黒字経営に転化しているのであるから、本件使用貸借により被控訴会社を保護育成しようとした春藏の意図もある程度は達成されているものということができ、被控訴会社としてはもはや、春藏の相続人が本件土地の明渡を必要としている状況下においてなお本件土地の無償使用に固執すべきものではないと考えられる。これらの事情からすると、おそくとも前記解約の意思表示のされた昭和四八年一月の時点では使用貸借の終了を相当とすべき事由があるものというべく、本件土地の使用貸借は右解約の意思表示によって解約され、被控訴会社は控訴人に対し本件土地を明渡し、かつ解約の翌日である昭和四八年一月一七日から明渡済まで本件土地の賃料相当額の損害金を支払う義務がある。原審における鑑定人松本七左衛門の鑑定の結果によれば、本件土地の昭和四九年一二月一日当時の新規賃料は月額四〇万八七九一円であることが認められ、これを基準に物価上昇率等を勘案すると本件土地の昭和四八年一月当時の新規賃料は少なくとも月額三五万円を下らないと認められる。

四  以上によれば、本件和解調書第二項に基づく強制執行の排除を求める被控訴人の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、他方被控訴人は控訴人に対し本件土地を明渡し、昭和四八年一月一七日から右明渡済まで月額三五万円の賃料相当損害金を支払う義務があり、控訴人の予備的反訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきである。そうすると、本訴についてこれと同旨の原判決は正当であるので、本訴についての本件控訴は理由がなく、反訴についてこれと異なる原判決は右のとおり変更すべきである。よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九五条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 朝田孝 裁判官 川口冨男 大石一宣)

<以下省略>

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